炭火焼豚の誕生

明治22年、当店は牛馬専門店として創業しました。

昭和30年代に食文化の拡がりを受け惣菜部門を設立。

「食肉専門店らしい惣菜とは何か」をスローガンとし、まず当時保存食として提供していた焼豚をご家庭でも美味しく食べられる方法は無いかと思案を巡らせました。

最初に調味料の選定からおこないました。続いては配合量の見直しを重ね自分達が求めた味を実現するに至ります。

次に、最適な食感を出すための部位選定と加工を施します。最後は理想の焼き加減を実現するために焼窯の材質や形を職人と二人三脚で開発を進め炭の産地まで拘り抜きました。

悲願であった後付けタレのいらない桑原の本格炭火焼豚がここに誕生したのであります。

この製法は現代(いま)も受け継がれており、変わらぬ味をご提供させていただいております。

皆様の御愛顧もあり、「焼豚といえば桑原」と仰っていただけるまでにもなり大変感謝しております。

これからも変わらぬ伝統を守り、変わらぬ味をご提供出来ますよう日々精進してまいります。

「本物の焼豚」を是非ご堪能下さいませ。

製法について

当店の炭火焼豚で最も特徴的なのは「後付けのタレが不要」な点です。

厳選した国産豚の風味を活かした焼豚にするというのが開発当時に最も拘った点であります。

後付けダレの濃厚な味は、肉の風味を殺し、食べ終えたらタレの味しか残らないのでは意味が無いと考えたのです。

そこで当時の考案者(二代目)は「下味用のタレ」「寝かしダレ」「仕上げのタレ」の三種類を組み合わせる事を思いつきました。

豚肉の風味を活かし、また旨みを引き出すために考えられたものだと思われます。事実「仕上げのタレ」は焼豚誕生当時から継ぎ足して使われてきた「伝統のタレ」でもあります。旨みが凝縮されたタレに絡ませた焼豚の艶やかさと芳酵さは食卓を彩る一品として申し分ありません。

非効率だとしても、桑原の焼豚をご提供出来る方法は受け継いだ製法でしか作れないのです。

また当店の焼豚は全て手作業でおこなっており、機械を使っての撹拌やオーブンを併用して焼くといったことはございません。

撹拌時は手を用います。理由は豚肉の繊維のほぐれ具合や味の浸み込み加減がわかりやすいからです。

時々の気温や肉質によって具合は変わりそれによって漬け込み期間や温度管理の調整をおこないます。機械ではそこまでのことはわかりませんし、そもそも受け継いだ製法を改悪してしまうことにもなります。

オーブンを用いた場合でも、それは既に焼豚の体(てい)を成しておりません。

将来的に、効率的かつ綺麗な焼き上がりの焼豚を宇くれる機械が出たとしても私達は今の製法で作り続けるでしょう。

煮豚ではなく焼豚

本来、チャーシューと焼豚は同じものですが、日本国内では「煮豚」と「焼豚」を一括りにし「チャーシュー(叉焼)」と呼ばれております。

叉焼の「叉」は翻訳すれば「鉤」です。

肉に釣をかけて窯で焼くというのが本来の意味であり煮豚と焼豚は異なるものとご理解いただけるかと思います。

そういったあいまいな呼称となった「チャーシュー」という括りから差別化をするために、私共は「本格炭火焼豚」と名乗って日々提供させて頂いております。

部位別特徴

豚肉の仕入れは特に拘っております。肉質が堅ければ当然焼き上がりにも影響しますし、ドリップが出すぎた豚肉も旨みが流出しておりますので当然使えませんし、候補にすらなりません。

そもそも食肉専門店の矜持として使ってはならないのです。

このように厳選した豚肉を焼豚にし皆様にご提供するのですが「個々人の好み」が御座います。特に「脂身の好き嫌い」が多うございます。

買っていただくお客様が迷われないよう、各部位の特徴をご紹介させていただきます。

お買い求めの際は是非ご参考ください。

【肩ロース】

◎3種類の中で特に肉質が柔らかく、脂身も適度に入っており食べやすい部位です。

脂身の少ない部分も適度に歯ごたえがあり肉の触感を楽しめます。

迷ったらまず「肩ロースで」とおすすめできるオールマイティな部位です。

△肩ロースの大きな特徴で、切り口が徐々に黒く変色していきますので、ご贈答には不向きです。(味に変化はありません)

【バラ(三枚肉)】

◎肉、脂身が層になっており、バランスのとれた部位です。

ほぼ脂身に近い部分もありますが炭火で焼くことで余分な脂は流れてしまうので甘く濃厚でクリーミーな味わいが口の中に広がります。

店頭売りでは人気No1です。

△脂身の主張が強いので苦手な方は肩ロースをおすすめします。

【ロース】

◎脂身がほとんど無く、歯ごたえが肉々しいので食べごたえは一番です。

また「ゲタ」と呼ばれる脂と肉が分かれた特徴的な部位もローストしてご提供しております。

△冷めるとかたくなってしまい、歯ごたえが強くなり過ぎてしまいます。